人生の意味って何?

なんのために生きているかなんて、誰も正解を教えてはくれない。どんな立派な行動をしても天災や事故で死んでしまうのが人間。儚いものだ。なまじ知性を持ってしまったから、人生の意味なんて考えてしまうのだろう。

 

とはいえ、どうせ生きるならば世のため人のためになる生き方をしたいと思う。自分の仕事や日々の行動が社会にとって、誰かにとってほんの少しでも幸せにつながってほしいと思う。

 

きっと、こうした他者に対する貢献感が自己評価を高め、自分が幸せに生きていく活力の元となるエネルギーとなるからだと思う。

 

つまり、自分の幸せが先にあり、そのための手段が他者への貢献なわけだ。あれ、いつの間にか逆転していませんか?会社で神経をすり減らせて頑張って、誰かにいくばくかの貢献をした結果、自分が不幸になっているというおかしな状態になってませんか?

 

頑張りのベクトルが間違ってるなら、即刻やめよう。

 

 

 長いこと自分のことを、優しくて、人の気持ちがわかる、人の悪口を言わない、自己中でなく自己犠牲できるタイプと思っていた。書いてて恥ずかしいが。でも違うわ。そうすることで他人との衝突を避け、避けることで自分の安全を確保するという目的達成の戦略だわ。ほんとに優しかったら誰かが良くない行動していたら(例えば部下とか後輩)、その人将来のために注意するはず。また誰かが自分に負担になる言動や行動を取ったとき反論したりや対抗策を取るはずだけど、そうせずに自分が負担することで相手を満足させことを収める。自己犠牲ではない。

 

 あくまでも戦略的いい人、だ。だって自分が我慢して丸く収めたことを実は自分でもよくわかっていて、そのことでストレスを溜め込んでいるから。生粋でいい人ならそんなこと思わないはずだ。

 

 生存戦略としてのいい人という解釈だと、いろいろ説明がつく。けど上手く行ってないんだよ。だから苦労がなくならない。みんなにいい顔しようとして生じた矛盾を解消できずに結果自分の評判を落とす羽目になる。

 

 嫌われる勇気という本があるけど、嫌われることに、つまり人からの悪評価が気にならなくなったら楽だろうと思う。

中途半端だが、また。

 

 

 心の平穏を望むときもあれば、自らピンチに飛び込んで道を切り開いていくことにも憧れる。本当はそんな勇気などないくせに、妄想の中の自分はいつもカッコいい。妄想癖はいつからついたのだろう。現実で傷ついた心を妄想の中の自分に都合の良いストーリーで癒やし溜飲を下げる。カッコ悪い。

 

 周りを気にせずに思ったことを堂々という人に憧れる。しかも、説得力があるから周りも一目置くタイプ。適度に恐れられ周りから配慮されるタイプ。こういう人は自分で意識して、そうなるように振る舞っているのだろうか。無意識的なのだとしたら、すごくうらやましい。自分のようにいちいち相手の目線、表情、言動を気にしながら、意に沿わないことを言わないように言わないように接するのは、ものすごく疲れる。

 

 なんだろうDNAの仕業か。人に嫌われることを最小化するという生存戦略を持つDNAによって、ここまで代々生きながらえてきたのか。それならそれでいいけど、苦しみと引き換えならコスパ悪いぞ。

自分の心と向き合い続けたい

■思い出す、始まり

 昔から、些細なことでドキドキする性格だ。自分の行動や言動がが人に不快感を与えたかと気にしてしまう。
だから逆に人が自分に対することにも同じように反応してしまいがちで、何か話しているときに自分の方を見てたりすると、何か俺の悪口を言ってるのかな、なんて想像してしまうタイプ。

 17,18の頃だっただろうか。それまでは人の気持ちをあまり読むことなく無邪気にできた人付き合いができなくなった。いつも一緒にいた友達相手でも、自分の言動、相手の反応をすごく気にするようになり、他人といかに波風立てずに付き合うかだけを優先するようになった。結果、自分の心を開示しないし、人の心にも踏み込まなくなり、深い関係を気づけなくなった。

 他人にどう思われているか、特に嫌われているのではないかと思うことが多かった。外で人と目があったら、ケンカを売ってると思われてないかと想像し、そうでないことを確かめるために、その後もその相手の目線を追いかける。そうした行為が逆に相手の注意を引き込み、粗裏目に出た形で絡まれるという落ち。遠い昔、こうしたこともあったような記憶。

 なぜそうなったのかは、今もわからない。もっと子供の頃から、強迫性的な面もあったし、空想にふけるところもあり、幼い頃から精神面の弱さはあったような気がする。

  もう約半世紀も生きてきて、仕事もあり、家族も持ち、人並みに生活できている。が、未だに自分の心の弱さと戦い、時には勝しち、時には負けて凹む。

いつ寿命がつきるかわからないが、少しでも幸福感を持って生きていきたい。こうして書くことで気持ちを整理するとともに、自分の心に打ち勝つ気づきを得られたらうれしい。